先日ツイッタでやり取りして炎上寸前までいった奴に送ったものですw
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先ずは私情から説明しますね。
顔と顔を合わせているわけではないので、俺はラッコス、当事者はSと記しますね。
俺は44歳。19歳のとき、ボランティアとしてSの介助に入りました。現在25年が経過しているわけです。
当時のSは家族と住んでいたので、日中の介助だけで、夜は母親がすべて面倒を見ていました。
Sは一種一級、重度の脳性麻痺で、手足はおろかしゃべる事もできません。
コミュニケーションの取り方はかなり独特で、あ、か、さ、た、な、…を五十音まですべて介助者が発声し、眉毛の上げ下げでSが合図し、それを介助者が一文字づつ拾ってゆくのです。
当時のSに給付されていた制度は「障害基礎年金」のみ。この中から介助者にお礼金という形で支払っていた金額は100円台。
当然社会人には無理なので、学生や休日の時間をさいてくれる社会人、俺みたいな運動として介助をする奴のみが介助に入っていました。
しばらくたって、Sの家族の生活もままならなくなり、基礎年金からすこしづつ家族の生活費を使うようになります。
これは当然違法行為でした。しかし行政も黙認。とうじはこんな家族ばかりだったのです。
やがてSやショウガイ者たちの行動が社会に認知され、派遣事業所が立ち上がります。
しかし最低賃金をおおきく下回る給付しかなされなかったため、まったく介助者が集まらず、やむをえず家族は自腹を切って介助者に支払う…という、法の矛盾に直面します。
そして決定的であったのがSの父親が職場を解雇され、弟さんが事故で中とショウガイになり(先日ジョクソウを煩わせ亡くなりました)、家族の負担がおおきくなってしまったことです。
ここで、Sは「施設に入所」か『自立生活をするか」の二択を迫られました。
たくさんの反対意見がありました。
彼ほどの重度ショウガイシャが24時間介助者を入れて自立生活をするなんて不可能だとみんな思っていたのです。
しかし当時の施設は強制収容所同然で、女性は子宮摘出手術を受けなければ入れないとか(生理の介護軽減のため)、全員下半身おむつのみとか、虐待は日常茶飯事でした。かといって介護疲れで心中する家族も多くて、「かいじょ」という言葉すら認知されていないような状況でした。
これについては「母よ殺すな」「障害者解放運動の歴史」と検索してくれれば、たぶんアマゾンでも買えます。
そこで、Sは『施設は嫌だ。地域で暮らしたい」と自立生活を選択しました。
俺は心から感銘を受け、「一生こいつの介助をしよう」と腹をくくりました。そして現在に至るわけです。
ここから本格的に制度の説明にはいります。
まず真っ先に必要だったのは「他人介護加算」。
これは生活保護の枠内で給付されるもので、「青い芝の会」という急進的なショウガイ者たちがバスジャック、座り込み、など様々な抗議行動の結果勝ち取った制度です。
日本で初めてのショウガイシャに対する「措置制度」です。ほんの数万円でした
が、この恩恵の中で現在のショウガイシャたちは生きていられるのです。
これを受け取るものの中には、生活費に転用したり、たまに旅行に行く費用に充てたりしていたものです。
現在は私の知る限り制度の悪用をしているケースはありませんが、当時はとうぜん違法行為でした。当時のショウガイシャの移動には車が必須でしたが、車を所有していると生活保護は受給できません。
だから法の目をかいくぐって、なんとか生活をしてゆくためみんな必死になって運動しました。
現在はあちこちにスロープやエレベーターがありますが、これも先人や仲間たちが日本で初めて世田谷の梅丘駅に設置させたのです。
梅丘には光明養護学校があり、これも日本で初めてできた養護学校です。Sもそこの卒業生です。
この制度には大臣認定という枠があり、最大が18万。すくなければほんの数万円です。ショウガイの等級区分によります。
これはげんざいSには最大枠の18万円ほど給付されていますが、まったく足りません。
だから中には生活保護の冬期加算(冬場だけ給付される)を介助料にあてて、支給打ち切りなんてこともあったようです。
『重度脳性麻痺者等介護人派遣制度」は生保の枠外で国から支給されたもので、80年代後半から始まりました。
介護という言葉にはアレルギーを持つショウガイシャが多く(俺もです)、問題になりましたが国は要求を突っぱねてしまいました。
この制度には俺個人的には好印象しかないのです。なぜなら申告制で支給されるもので、24時間必要な人にはそれなりに、数時間必要な人にはその分だけ、
と、かなり融通が利いていたからです。そして給付金の利用も当事者の主体性に任せるといった感じで、外出に二人必要なときは二人分、たまには一人でいたいというときはゼロに、という風にショウガイ当事者が割り振りできたのです。
しかし90年代中頃に『全身性障害者介護人派遣」という制度が始まります。
これは経済の悪化に伴い、社会保障費を少しでも削減しようという国の方針に基づいたもので、「資格」が必要になってしまいました。
ツイッターにでてきた「18歳未満」という言葉に俺がひっかかったのも、この制度に起因します。
なぜなら高校生、中学生のボランティア(専従介助者でない)が法的に介助禁止になってしまったからです。
資格取得には最低一万五千円、最大30万以上もかかり、すべて厚生労働省(当時)の認可が必要で、天下り機関がショウガイシャの暮らしに介入してきました。
それでも心ある学生たちは、俺みたいな専従介助者のようにではなく、無報酬で介助に入ってくれたりしたものです。
あまりにも彼らが熱心だったので「謝礼金」というかたちでお金を渡しましたが、これも違法行為とみなされました。
ここから「ばれたら罰則」という厳しい処分がなされ始めます。
その後「自立支援法」という制度ではなく、法体系がなされ、障害等級の区分、原則24時間の支給廃止、資格制度の厳格化と制度取得費用の高騰などなど、ショウガイシャの生命に関わる問題が表面化します。当時の小泉内閣によって閣議決定された悪法です。
介助者という言葉が無視されて、ヘルパーや利用者という言葉が社会に現出します。
等級区分は全くの素人がお役所仕事でやるもので、まったく形式だけのものです。
歩けるショウガイシャも、Sのように重度なものも一律一級だとか、役所によっては金がないから一律二級とか、当事者の事情を考慮しない酷いものです。
今は歩けても、数年後には二時ショウガイによって車いす、寝たきりになったりするのが常なのですが、一度認定されたものは再審査されません。
24時間の介助保証打ち切りは深くショウガイシャと介助者の生活に関わります。月に720時間としてその三分の一から三分の二までしか支給されず、「国は弱者を切り捨てる」と宣言されたも同然です。
ものすごい勢いで各地でデモ、抗議行動がなされたにもかかわらず、さらには国バイ訴訟もあったのですが、すべて無視され施行されてしまいました。
これは表向き見直しを含む(4年ごと)はずなのですが、例によって見直しもほとんどされませんでした。
住んでる地域の行政機関によっては、行動できるショウガイシャや口うるさいから24h支給してしまえ、みたいな雑な対応があり、これにより運動は分断されてしまいました。
例えば知的ショウガイのひとはなかなか自分の意志を表せません。脳性麻痺、脊髄、頸椎損傷など、意思表示可能なショウガイシャはまだましだといえるのかもしれません。
この法が施行された当時2005年頃はまだ精神ショウガイシャという人たちが社会に認知されておらず、彼らは完全にハブカレタ形になってしまいました。
さらに、事業所を通さないと、すなわちショウガイシャ本人が自力で集めた「個人介助」というものが法的に禁止され、支給額は激減し、ボランティアはおろか、家族ですら無資格の介助が違法という事になってしまいました。
長年介助に関わっていても、資格がないとご飯を食べさせるだけで違法行為。
ヘルパーたちは耳掃除もできない(医療行為と見なされる)し、外出も別枠で資格が必要なんて矛盾が現場を混乱させてゆきます。
例えば浣腸をしないと排便できないショウガイシャもたくさんいますが、どれだけスキルがあろうとそれをやると医療行為、すなわち違法になってしまいました。
これは現行の法律です。
おかげで現場はめちゃくちゃです。
事業所を立ち上げれば金になる…なんてひどい資本も参入し、様々な形で天下りも合法的に参入するようになります。
これらのなかには不正受給をやる事業所が多く(利用者がいないのに不正に助成金を受け取る)、おかげで俺たちみたいな真剣に取り組んでいる団体にも厳しい監査がはいるようになり、監査の対応で介助に入れないなんていまだにしょっちゅうなのです。
東大にはボランタスというサークルがあります。日本初のボランティアサークルで、Sとその先輩方が授業ジャックしたり、構内でビラを配ってそれに共感した学生たちが作ったものです。
彼らは学生であるにもかかわらず、資格取得を迫られ、もし無資格であれば罰則の対象になります。
だから彼らは少ない親の仕送りやバイト代を削って、資格取得費用を捻出しています。ボランタスはツイッターアカウントもあるので検索してみてください。
他にも都や区から支給されている「緊急介護人派遣」や「重度手当」なんて制度も取得していますが、24時間にはとても足りないので、それを介助者で割ってみんなでなんとかSの生活を支えています。
いや、支えられているのは介助者で、俺もSのおかげで満ち足りた日々を送っています。
来年度から「障害者総合福祉法」が始まります。
介護保険と一本化し、どんなショウガイがあろうと老人だろうと一律管理しようというもので、上限枠はさらに下がり、介助者の時給は激減すると予想されています。
こんなとこで「法律に振り回されるショウガイシャの暮らし」が伝わったでしょうか?
社長は今も横にいます。
俺はどちらかくたばるまで介助者であり、パンクスであり、この生活に幸せを感じて暮らしています。
よんでくれてありがとう!
ぜひ感想を聞かせてください!
ラッコスより