夜中に目が覚めやすいんだよね。(笑)そこで考えた

シズカちゃんだよっ!夜中に目が覚めやすいんだよね。(笑)そこで考えた。
昔の左翼と言われる人たちは、”階級的”という言葉を好んで使った。その意味を尋ねると、答えられる人がいないんだよね。(笑)まあ、そういった人は階級闘争(!)の現場から逃走(!)しちゃうわけだけれどもね。(笑)階級的というのは、このおもしろくもない世の中をおもしろくすることができる立場性(を持った「ろくでなし」と言われるおっちゃんたちとかの資本主義社会にそぐわない存在そのもの)だよね。だって、こんなおっちゃんたちとかが原発の現場とかで使い捨てられてきたんだよね。(「結婚する当てもない」「子どもをつくる当てもない」と被曝労働を押しつけられてきたんだ。本人たちは「儲かるから」と危険も知らされずに、汗みどろになって働いてきたんだよね。そして、野宿をして野垂れ死にをしても、誰も被曝が原因だなどとは考えないでいるだろうからね。ところで、こんなおっちゃんたちを襲い、虐殺するガキ共は許せないよね。)今は(原発現場で働いているのは、)若いにいちゃんたちとかが多いでしょう?こんな子たちが感じている「おもしろくない」という気持ちは、おっちゃんたちが感じてきた「おもしろくない」という気持ちといっしょだよね。そこからが大事なところなのだけどね。
おもしろいってどういう状態かというと、ギャンブルにのめりこんだり、酒に溺れたり、セックスにはまったり、ケンカに明け暮れたりすることじゃないと思うんだ。おもしろいっていうのは、みんなとじぶんのためになるってことが突きつめられているってことじゃないのかな。(今の福島第一原発の事後処理の現場に行っている若い子のなかには、「自分はやんちゃばかりして社会に迷惑ばかりかけてきたから、少しは社会の役に立とう」という考えで働いている子もいるみたいだけど、その気持ちを東電や政府を喜ばせることに使うより、原発ぶっ止めるストライキに使うのが階級的ということだよね。東電をぶっつぶすストライキ。国策をぶっ飛ばすストライキ。それが政府をぶっ倒す闘いになればいいし、核武装を食い止めることに結びつけばいいなと思う。おいらもそんな被曝労働ならばしなくちゃならないと思っているし、ストライキを守るために、原発から逃げるのではなく、原発の周りに集まって、機動隊や自衛隊と血を流して闘うこともしなくちゃと思っているよ。)つまり、天皇いらない。原発いらない。軍隊いらない。警察いらない。そんなものなくても生きていける。そんなものないほうが生きやすい。そんなものなければ、みんながしあわせになる。
それらは、「おれのもの。おれのもの」といううばいあいの競争をするようにしむけて、おいらたちをいがみあわせる資本主義という私的所有で成り立っている社会のためにだけあるものだからだよね。(学校の成績、職場の生産性・・・他人を蹴倒し、他国の労働者の血と汗を奪って築くマイホームの夢のイカサマ。)このうばいあいの競争(を「自由」と言っているのが資本家。)にかちのこるのは大資本と相場が決まっているデキレースだものね。こんなゴタゴタで成り立っている社会はいらないし、こんなゴタゴタもいらないよね。
だからといって、自分だけがこのゴタゴタからドロップアウトしたからって、「頭かくして尻かくさず」状態なだけで、逃げてるうちに原発は爆発するは戦争はおきるはということになっちまうだけだものね。
こうした世の中とそれを支える国家権力(さらにはファシスト)と闘うことこそがおもしろいんだよね。
そして、社会構造の支配の根幹にある資本家階級と労働者階級とのどちらの立場に立つのかが階級性の問題なのだよね。このことはどのような社会(人と人との、人と自然との関係)を実現するのかということでもあるよね。(他者から奪い取るのではなく、分かち合う社会。尖閣諸島が誰のものだなんていうくだらない争いの根がない。支配の歴史に決着をつけ、階級対立が生み出される支配の構造がない社会システムで覆われた世界。)
労働者階級というドレイの立場からの反乱に立ち上がるのではなく、ドレイの立場に甘んじる人も多いし、反乱をおさえる側にまわったりする人も多いでしょう。労働者のくせに、支配のくびきを断ち切ることができる立場としての労働者階級の敵となる奴もいる。闘いだけがこんな奴らの敵対を無力にするし、多くの黙らされている人たちに勇気をあたえることができる。差別を許さない闘いと労働者の闘いは、搾取と抑圧をもたらす、この階級支配を具体的に打ち砕くひとつの力として発揮されなければならないよね。まあ、こんなところで。(笑)

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